( 香水工場の )
香る生活
飲み屋のレタスで知った野菜の味
嗅覚(きゅうかく)も味覚(みかく)も、覚醒する瞬間がある、場合もある (2018/07/12)
( 私の場合、野菜の味がわかるまでに30年以上かかった )
レタスの体験談でお付き合い下さい。
私の母は野菜好きでした。それで、自分の趣味か方針か不明ですが、子供にも野菜を多く食べさせていました。
とはいえ、私は、根は平均的な肉好き少年でしたので、毎日、食べる野菜を「おいしい」と感じていたわけではありません。
野菜は、肉やお菓子に比べると、平均的な少年たちにとっては、どうしても満足感が劣る。
(子供たちに喜ばれない割に、お安くないし、手間がかかるし、生ゴミが出るので、一般的な主婦の野菜料理は減っていく。めげてはダメです。子供には馬のように野菜を、亭主にも)
ある日、30代の半ば、同僚と飲み屋で酒を飲んでおりました。
家庭的な飲み屋で、女将さんが、「今はレタスがおいしい季節だからね、ほら食べてごらん」とドレッシングをかけただけの生レタスをテーブルにポンと置いてくれました。
(オーダーしたのか、サービスだったか記憶がない)
「レタスの味、わかる? おいしいよ」と言われ、口に入れてモグモグ。
(心の中で、何かが動いた)
レタスなのに味があると思いました。
(レタスに味がある!)
レタスは小さいころから食べている野菜、たっぷりマヨネーズを付けて食べるシャキシャキした野菜。それだけの野菜だった。
(むしろ、マヨネーズの味を楽しんでいた。レタスは、マヨの付け合わせだった)
女将さんに言われたせいか、ほろ酔い気分だったせいか、レタスには、味があるのか、と素朴に驚きました。
その日から、突然、野菜のおいしさに気づきました。そして、同じ野菜でも、それぞれに味の濃さや、おいしさの違いがあることも知りました。
(覚醒!)
たとえば、カボチャ。昔は、退屈な黄色い野菜でした。今ではおいしいカボチャに出会うとハッピー。
私にとってのおいしいカボチャとは、栗のような味・食感のカボチャ。外見では判断できず、いつもくじ引きのつもりで買います。
うまいカボチャは、いかなる調味料も加えない、単なる蒸しがベストな調理法と思う。
ホクホクになる。調味料を付けて食べるともったいないうまさ。
(水炊きでもOK、やったことはないが石焼き芋のような遠赤外線ならもっとうまいかも)
そんなわけで、野菜の味がわかるようになったのは、30代の半ばだった。
逆に言えば、そんな年にならないと、野菜の味はわからないのかもしれない。
(と個人的に考えるようになった)
料亭や料理関連の仕事をしている家庭に生まれると、小さい頃から、有形無形の自然発生的な味覚トレーニングがあると思う。
そういう子供たちは比較的早期に、かつ無意識に味に覚醒しているだろう。
しかし、味にうるさくない家庭に生まれた子供たちは、私のようなパターンで、長い年月を経て、ようやく野菜の味に目覚める人も多いのではないだろうか、と思ったりする。
以上は、私の味覚の覚醒体験。嗅覚も似ていて、香りの覚醒のタイミングを体験する人もいるようだ。
感じられなかった香りや好きでなかった香りが、ある日、好きになったり、違いがわかったり。
特定の香りやニオイを感じない人は、実は案外、多い。
(これは事実。電車の中で異様なニオイを放っている人がたまにいますが、自分のニオイを生理的に感じていない可能性が高い)
香りやニオイを意識することによって突然、「感じる」ようになる人は、いままで何例か見てきた。
香りやニオイを「意識する」こととは、つまり、嗅覚のトレーニング。
嗅覚に目覚めると、個人的な予想だが、一部の柔軟剤の強烈なニオイが付いた服は着れなくなるだろう。
(2018-07-12)
( 私の場合、野菜の味がわかるまでに30年以上かかった )
野菜をそれなりに食べた子供時代
レタスの体験談でお付き合い下さい。
私の母は野菜好きでした。それで、自分の趣味か方針か不明ですが、子供にも野菜を多く食べさせていました。
とはいえ、私は、根は平均的な肉好き少年でしたので、毎日、食べる野菜を「おいしい」と感じていたわけではありません。
野菜は、肉やお菓子に比べると、平均的な少年たちにとっては、どうしても満足感が劣る。
(子供たちに喜ばれない割に、お安くないし、手間がかかるし、生ゴミが出るので、一般的な主婦の野菜料理は減っていく。めげてはダメです。子供には馬のように野菜を、亭主にも)
飲み屋でのプチ事件
ある日、30代の半ば、同僚と飲み屋で酒を飲んでおりました。
家庭的な飲み屋で、女将さんが、「今はレタスがおいしい季節だからね、ほら食べてごらん」とドレッシングをかけただけの生レタスをテーブルにポンと置いてくれました。
(オーダーしたのか、サービスだったか記憶がない)
「レタスの味、わかる? おいしいよ」と言われ、口に入れてモグモグ。
(心の中で、何かが動いた)
レタスなのに味があると思いました。
(レタスに味がある!)
レタスは小さいころから食べている野菜、たっぷりマヨネーズを付けて食べるシャキシャキした野菜。それだけの野菜だった。
(むしろ、マヨネーズの味を楽しんでいた。レタスは、マヨの付け合わせだった)
女将さんに言われたせいか、ほろ酔い気分だったせいか、レタスには、味があるのか、と素朴に驚きました。
野菜の味を知るまで30年以上
その日から、突然、野菜のおいしさに気づきました。そして、同じ野菜でも、それぞれに味の濃さや、おいしさの違いがあることも知りました。
(覚醒!)
たとえば、カボチャ。昔は、退屈な黄色い野菜でした。今ではおいしいカボチャに出会うとハッピー。
私にとってのおいしいカボチャとは、栗のような味・食感のカボチャ。外見では判断できず、いつもくじ引きのつもりで買います。
うまいカボチャは、いかなる調味料も加えない、単なる蒸しがベストな調理法と思う。
ホクホクになる。調味料を付けて食べるともったいないうまさ。
(水炊きでもOK、やったことはないが石焼き芋のような遠赤外線ならもっとうまいかも)
そんなわけで、野菜の味がわかるようになったのは、30代の半ばだった。
逆に言えば、そんな年にならないと、野菜の味はわからないのかもしれない。
(と個人的に考えるようになった)
料亭や料理関連の仕事をしている家庭に生まれると、小さい頃から、有形無形の自然発生的な味覚トレーニングがあると思う。
そういう子供たちは比較的早期に、かつ無意識に味に覚醒しているだろう。
しかし、味にうるさくない家庭に生まれた子供たちは、私のようなパターンで、長い年月を経て、ようやく野菜の味に目覚める人も多いのではないだろうか、と思ったりする。
香りへの覚醒
以上は、私の味覚の覚醒体験。嗅覚も似ていて、香りの覚醒のタイミングを体験する人もいるようだ。
感じられなかった香りや好きでなかった香りが、ある日、好きになったり、違いがわかったり。
特定の香りやニオイを感じない人は、実は案外、多い。
(これは事実。電車の中で異様なニオイを放っている人がたまにいますが、自分のニオイを生理的に感じていない可能性が高い)
香りやニオイを意識することによって突然、「感じる」ようになる人は、いままで何例か見てきた。
香りやニオイを「意識する」こととは、つまり、嗅覚のトレーニング。
嗅覚に目覚めると、個人的な予想だが、一部の柔軟剤の強烈なニオイが付いた服は着れなくなるだろう。
(2018-07-12)
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