( 香水工場の )
香る生活
デザインは大切
デザインセンスをさりげなく訓練する習慣 (2018/08/22)
( 孫子風に言えば「デザインは企業の大事、存亡の道、軽んずべからず」 )
80年代、日本の製造業は世界津々浦々にとどろき「MADE IN JAPAN」は輝ける品質の証でした。
当時、ダイムラー・ベンツの社長が、日本車の部品の不良品率の少なさは「理論上考えられない」と言ったとか言わないとか、という時代です。
日本製は、米国やヨーロッパ製造業を次々と駆逐していきましたが、その日本製もかげりが。
現在、世界の家電製品は、もはや60%が「MADE IN CHINA」。日本製が米国家電を駆逐したように、現在は中国製が日本製・韓国製を駆逐中です。
80年代、製造業で日本に圧倒された米国やヨーロッパを見ると、その後、彼らは「金融・ソフトウェア・デザイン」へと進路を切り替えたというのが、私の持論です。
「金融」とは、カネを商品とする究極のビジネス、多くの産業が最終的に金融へ向うことは必至で、たとえば、日本でもソニーが、ソニー銀行やソニー保険で業績を伸ばしている例は、私的にはすごく自然なこと。
(Amazonも金融に向かうはずです)
「製造業の次に来るものが金融」という意見は、反対意見も少ないでしょうが、デザインも製造業の次に来るものと感じています。
(中国政府もデザイン関連機関の設立など、デザイン重視政策を矢継ぎ早に打ち出し中)
私はデザインに関してまったくの素人で、デザインをウンヌンできる人間ではありませんが、デザインの重要性は痛感しています。
企業で働く人は、すべての人がデザインに関心を抱くべきだと信じます。
それで、当社では、デザイナーが制作する作品は、全員で評価することを日課としています。
内部制作でろうと、外部委託であろうと、全員で見て、触ってブレインストーミングします。
上がってきたラフ案をブラッシュアップするためのミーティングですし、いくつかのデザイン案に分かれた際は、よりよい作品選択のためのミーティングです。
しかし、同時に社員一人一人が、デザインに関心を持ち、そして、意識を高めるための訓練にもなっています。
(どちらかといえば、後者の方が重要)
デザイナーではないけど、デザインに無関心ではいられないように全員で切磋琢磨、というねらいです。
ここからは国分が、デザインに関して考え方を変えるキッカケとなった思い出話です。
昔、故・小倉昌男氏の本を読んだことがあります。「宅急便」というコトバを生み出したヤマト運輸の先々代くらいの社長さまです。
事実上のオーナー社長さんで、個人向けの宅配事業を成功させた企業家・起業家。
非常におもしろくて、起業家スピリットに触れる思いで夢中でページをめくりました。
好きだった部分は、三越百貨店とのバトルと役人たちとのバトル。
(現在に至ってもヤマト運輸は、ある省庁から「敵」と見なされている)
しかし、一番記憶に残った部分は、クロネコヤマトのロゴ誕生話でした。
ここからの話は、私のうろ覚えです。
もしかしたら、経年の間に勝手に記憶がねじ曲げられ、妄想しているかもしれません。本の題名も忘れ、見直して書けばいいのですが、その変質したかもしれないままの生の記憶で書きます。
親ネコが子ネコをくわえて運んでいるロゴ、誰もが知っているあのロゴは、米国の運送会社「Allied Van Lines社」のロゴの派生バージョン。
え、パクリ?
いえいえ、業務提携先の Allied Van Lines社の社長が来日した際、ロゴに感銘していた小倉氏が、当社にも使わせてほしいと依頼し、その場で、快く許可をいただいたものだそうです。
今では考えられない話ですね。
1950年代、社長の権限が、投資家や株主に対して比較的強かった当時、またロゴやマークに対する権利意識もそれほど強くない時代ですので、社長同士のこのような即断も多かったと思います。
信頼関係があっての話ですよね。
小倉氏は自社のデザイナーにこのロゴの日本版制作を命じます。
このデザイナーさんの名前が出てきません。忘れてしまいました。このデザイナーさん、小倉氏の文面から伝わってくるイメージは、サラリーマン肌でなく、ややくたびれた感じの芸術家タイプ。
こんなデザイナーさんが企業の顔となるロゴデザインを担当しました。
相当苦悩してあのロゴは生まれたようです。
( 誰もが知っているロゴ )
ようやく完成した日、小倉氏はそのロゴのできばえに感心して「デザイナーを呼んでこい」と部下に命じると、彼は職場にはおらず、近所のそば屋で酒を飲んでいました。
勤務時間内でしたが、まさか社長に呼ばれるなど夢にも思わず、仕事上がりにほっと一杯やっていたのでしょう。
赤ら顔で、バツが悪そうにやってきたデザイナーに小倉氏は一時金を手渡しました。
このデザイナーさんは、その後、しばらくして亡くなりました。
亡くなった原因は明記されていません。
しかし、あの秀逸なロゴが彼の寿命を奪った気がしてならないのです。
以上が私が記憶している顛末です。
このときから私の中でデザインとは、人の命をすり減らすかもしれない何かというイメージに変わりました。
(2018-08-22)
( 孫子風に言えば「デザインは企業の大事、存亡の道、軽んずべからず」 )
追い詰められた日本の製造業
80年代、日本の製造業は世界津々浦々にとどろき「MADE IN JAPAN」は輝ける品質の証でした。
当時、ダイムラー・ベンツの社長が、日本車の部品の不良品率の少なさは「理論上考えられない」と言ったとか言わないとか、という時代です。
日本製は、米国やヨーロッパ製造業を次々と駆逐していきましたが、その日本製もかげりが。
現在、世界の家電製品は、もはや60%が「MADE IN CHINA」。日本製が米国家電を駆逐したように、現在は中国製が日本製・韓国製を駆逐中です。
進化の方向
80年代、製造業で日本に圧倒された米国やヨーロッパを見ると、その後、彼らは「金融・ソフトウェア・デザイン」へと進路を切り替えたというのが、私の持論です。
「金融」とは、カネを商品とする究極のビジネス、多くの産業が最終的に金融へ向うことは必至で、たとえば、日本でもソニーが、ソニー銀行やソニー保険で業績を伸ばしている例は、私的にはすごく自然なこと。
(Amazonも金融に向かうはずです)
「製造業の次に来るものが金融」という意見は、反対意見も少ないでしょうが、デザインも製造業の次に来るものと感じています。
(中国政府もデザイン関連機関の設立など、デザイン重視政策を矢継ぎ早に打ち出し中)
意識すればデザイン力は上がる
私はデザインに関してまったくの素人で、デザインをウンヌンできる人間ではありませんが、デザインの重要性は痛感しています。
企業で働く人は、すべての人がデザインに関心を抱くべきだと信じます。
それで、当社では、デザイナーが制作する作品は、全員で評価することを日課としています。
内部制作でろうと、外部委託であろうと、全員で見て、触ってブレインストーミングします。
上がってきたラフ案をブラッシュアップするためのミーティングですし、いくつかのデザイン案に分かれた際は、よりよい作品選択のためのミーティングです。
しかし、同時に社員一人一人が、デザインに関心を持ち、そして、意識を高めるための訓練にもなっています。
(どちらかといえば、後者の方が重要)
デザイナーではないけど、デザインに無関心ではいられないように全員で切磋琢磨、というねらいです。
デザインで、ショックを受けた話
ここからは国分が、デザインに関して考え方を変えるキッカケとなった思い出話です。
昔、故・小倉昌男氏の本を読んだことがあります。「宅急便」というコトバを生み出したヤマト運輸の先々代くらいの社長さまです。
事実上のオーナー社長さんで、個人向けの宅配事業を成功させた企業家・起業家。
非常におもしろくて、起業家スピリットに触れる思いで夢中でページをめくりました。
好きだった部分は、三越百貨店とのバトルと役人たちとのバトル。
(現在に至ってもヤマト運輸は、ある省庁から「敵」と見なされている)
しかし、一番記憶に残った部分は、クロネコヤマトのロゴ誕生話でした。
ここからの話は、私のうろ覚えです。
もしかしたら、経年の間に勝手に記憶がねじ曲げられ、妄想しているかもしれません。本の題名も忘れ、見直して書けばいいのですが、その変質したかもしれないままの生の記憶で書きます。
ロゴに秘められた物語
親ネコが子ネコをくわえて運んでいるロゴ、誰もが知っているあのロゴは、米国の運送会社「Allied Van Lines社」のロゴの派生バージョン。
え、パクリ?
いえいえ、業務提携先の Allied Van Lines社の社長が来日した際、ロゴに感銘していた小倉氏が、当社にも使わせてほしいと依頼し、その場で、快く許可をいただいたものだそうです。
今では考えられない話ですね。
1950年代、社長の権限が、投資家や株主に対して比較的強かった当時、またロゴやマークに対する権利意識もそれほど強くない時代ですので、社長同士のこのような即断も多かったと思います。
信頼関係があっての話ですよね。
小倉氏は自社のデザイナーにこのロゴの日本版制作を命じます。
ロゴの完成
このデザイナーさんの名前が出てきません。忘れてしまいました。このデザイナーさん、小倉氏の文面から伝わってくるイメージは、サラリーマン肌でなく、ややくたびれた感じの芸術家タイプ。
こんなデザイナーさんが企業の顔となるロゴデザインを担当しました。
相当苦悩してあのロゴは生まれたようです。
( 誰もが知っているロゴ )
ようやく完成した日、小倉氏はそのロゴのできばえに感心して「デザイナーを呼んでこい」と部下に命じると、彼は職場にはおらず、近所のそば屋で酒を飲んでいました。
勤務時間内でしたが、まさか社長に呼ばれるなど夢にも思わず、仕事上がりにほっと一杯やっていたのでしょう。
赤ら顔で、バツが悪そうにやってきたデザイナーに小倉氏は一時金を手渡しました。
命に関わるデザイン
このデザイナーさんは、その後、しばらくして亡くなりました。
亡くなった原因は明記されていません。
しかし、あの秀逸なロゴが彼の寿命を奪った気がしてならないのです。
以上が私が記憶している顛末です。
このときから私の中でデザインとは、人の命をすり減らすかもしれない何かというイメージに変わりました。
(2018-08-22)
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