( 香水工場の )
香る生活
マスマーケットに向かうラグジュアリー3
前回は、さまざまなラグジュアリープレイヤーが出現したこととラグジュアリーという意味の混乱、そしてプレイヤー同士のバトルを見てきましたが、今日はその続きです。巨人たちの激闘を垣間見ます。
-------------(原文訳)--------------
豪華なヴィトンの店舗デザイナーPeter Marino氏が語るところによれば、ラグジュアリーの真髄は、限られた人にしか手に入らないという点に集約されるとのことです。彼は言います。
「コーチなどは、ラグジュアリーとは無縁です。ああいうお店は鉄鉱石でも何でも売っていてもおかしくはないのですが、たまたまバッグを売っているという感じです。ラグジュアリー・バッグの制作とは、中国で若い娘さんに縫製機を与えて作るよなものとはワケが違いす。精選された素材だけを使用し職人の手による高度な技術と希少性がモノを言う世界なのです。」
グッチでは、グループ内のステラ・マッカートニーがH&Mのためにデザインした2005年コレクションをこのように酷評しています:
「あれは、ブランドというよりH&Mの知名度を上げる一度限りの販促プロモーションのようなもの」
一方「手に届くラグジュアリー」プレイヤーたちも毅然としています。Mizrahi氏はターゲット社とのコラボに対する非難を「ブランド差別主義者たち」と反論します。「本当にラグジュアリーであるためには様々な要素を必要とするし、現実を直視したらどうでしょうか」と。コーチのCEO、Frankfort氏も黙っていません。「彼らは、以前ブランドは民主主義化されたと言っていたものですが、自分たちの発言を忘れたんでしょうかね?」。コーチは品質に関してこのように主張します。コーチのバッグの原料は一部はヨーロッパのブランドが仕入れるまったく同じなめし革工場から仕入れます。完成度もなんら引けは取りません。途上国での生産はコストカットできる分を消費者に還元できるのです。
-------------(原文訳ここまで)--------------
「みんなが買えるわけでないからこそ、ラグジュアリーなのだ」という理論は本音ながら大胆です。そのあとに続くコーチへの辛辣なこき下ろし「has nothing to do with luxury」(コーチはラグジュアリーと無関係)は、取材した記者さんが何か相当焚き付けたあとやや高揚した発言でないかと勘ぐりたくなります。
ヴィトンとコーチには根深い対立があるのかもしれません。ニュースを調べると、2005年ヴィトンによるコーチの事業妨害疑惑がありました。日本市場で立ち上がるコーチの営業妨害を行ったとしてコーチが公正取引委員会に是正を求める申立書を提出したとのこと。妨害の事実は不明ですが、悪いReputation(評判)を起こさせないことをブランドの信条とするヴィトンには痛手の事件だったに違いありません。
この後に記事に日本で20代女性のヴィトン製品普及率90%以上という内容ができていますが、もしこの数字が本当だとするとヴィトンの「限られた人だけだからラグジュアリー」戦略には迷いが感じられます。あるいは日本市場は例外中の例外なのかもしれません。
マスマーケットに向かうラグジュアリー7
マスマーケットに向かうラグジュアリー6
マスマーケットに向かうラグジュアリー5
マスマーケットに向かうラグジュアリー4
マスマーケットに向かうラグジュアリー3
マスマーケットに向かうラグジュアリー2
マスマーケットに向かうラグジュアリー1
---------------QUOTE--------------
Peter Marino, who designs those costly Vuitton stores, argues that the whole point of luxury is that it isn't accessible to everyone. "Coach has nothing to do with luxury," he says. "It could be selling iron ore, but it just happens to sell handbags. This is not about girls in China with a sewing machine, but about workmanship, exclusivity, and the sheer gloriousness of the materials." At Gucci, Polet plays down Stella McCartney's 2005 collection for H&M. "It was just a one-off that reinforced the global scale and importance of the brand," he says.
The accessible-luxury crowd is equally adamant. Mizrahi decries critics of his work with Target as "brand racists" and says "it's nearly impossible to be luxurious without mixing it up and keeping it real." At Coach, CEO Frankfort concurs. "When did they last speak to a consumer?" he asks of his detractors. "Luxury has been democratized." As for quality, Frankfort insists that Coach bags "are as well made as products anywhere. We even source from some of the same tanneries as European houses. But because we manufacture in low-cost countries, we can pass the savings on to consumers."
---------------QUOTE--------------
(2007-09-22)
-------------(原文訳)--------------
豪華なヴィトンの店舗デザイナーPeter Marino氏が語るところによれば、ラグジュアリーの真髄は、限られた人にしか手に入らないという点に集約されるとのことです。彼は言います。
「コーチなどは、ラグジュアリーとは無縁です。ああいうお店は鉄鉱石でも何でも売っていてもおかしくはないのですが、たまたまバッグを売っているという感じです。ラグジュアリー・バッグの制作とは、中国で若い娘さんに縫製機を与えて作るよなものとはワケが違いす。精選された素材だけを使用し職人の手による高度な技術と希少性がモノを言う世界なのです。」
グッチでは、グループ内のステラ・マッカートニーがH&Mのためにデザインした2005年コレクションをこのように酷評しています:
「あれは、ブランドというよりH&Mの知名度を上げる一度限りの販促プロモーションのようなもの」
一方「手に届くラグジュアリー」プレイヤーたちも毅然としています。Mizrahi氏はターゲット社とのコラボに対する非難を「ブランド差別主義者たち」と反論します。「本当にラグジュアリーであるためには様々な要素を必要とするし、現実を直視したらどうでしょうか」と。コーチのCEO、Frankfort氏も黙っていません。「彼らは、以前ブランドは民主主義化されたと言っていたものですが、自分たちの発言を忘れたんでしょうかね?」。コーチは品質に関してこのように主張します。コーチのバッグの原料は一部はヨーロッパのブランドが仕入れるまったく同じなめし革工場から仕入れます。完成度もなんら引けは取りません。途上国での生産はコストカットできる分を消費者に還元できるのです。
-------------(原文訳ここまで)--------------
「みんなが買えるわけでないからこそ、ラグジュアリーなのだ」という理論は本音ながら大胆です。そのあとに続くコーチへの辛辣なこき下ろし「has nothing to do with luxury」(コーチはラグジュアリーと無関係)は、取材した記者さんが何か相当焚き付けたあとやや高揚した発言でないかと勘ぐりたくなります。
ヴィトンとコーチには根深い対立があるのかもしれません。ニュースを調べると、2005年ヴィトンによるコーチの事業妨害疑惑がありました。日本市場で立ち上がるコーチの営業妨害を行ったとしてコーチが公正取引委員会に是正を求める申立書を提出したとのこと。妨害の事実は不明ですが、悪いReputation(評判)を起こさせないことをブランドの信条とするヴィトンには痛手の事件だったに違いありません。
この後に記事に日本で20代女性のヴィトン製品普及率90%以上という内容ができていますが、もしこの数字が本当だとするとヴィトンの「限られた人だけだからラグジュアリー」戦略には迷いが感じられます。あるいは日本市場は例外中の例外なのかもしれません。
マスマーケットに向かうラグジュアリー7
マスマーケットに向かうラグジュアリー6
マスマーケットに向かうラグジュアリー5
マスマーケットに向かうラグジュアリー4
マスマーケットに向かうラグジュアリー3
マスマーケットに向かうラグジュアリー2
マスマーケットに向かうラグジュアリー1
---------------QUOTE--------------
Peter Marino, who designs those costly Vuitton stores, argues that the whole point of luxury is that it isn't accessible to everyone. "Coach has nothing to do with luxury," he says. "It could be selling iron ore, but it just happens to sell handbags. This is not about girls in China with a sewing machine, but about workmanship, exclusivity, and the sheer gloriousness of the materials." At Gucci, Polet plays down Stella McCartney's 2005 collection for H&M. "It was just a one-off that reinforced the global scale and importance of the brand," he says.
The accessible-luxury crowd is equally adamant. Mizrahi decries critics of his work with Target as "brand racists" and says "it's nearly impossible to be luxurious without mixing it up and keeping it real." At Coach, CEO Frankfort concurs. "When did they last speak to a consumer?" he asks of his detractors. "Luxury has been democratized." As for quality, Frankfort insists that Coach bags "are as well made as products anywhere. We even source from some of the same tanneries as European houses. But because we manufacture in low-cost countries, we can pass the savings on to consumers."
---------------QUOTE--------------
(2007-09-22)
< 香も食も、体力あってこそ || マスマーケットに向かうラグジュアリー2 >
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