( 香水工場の )
香る生活
マスマーケットに向かうラグジュアリー5
「マスマーケットに向かうラグジュアリー」の5回目です。ブランドさんも、多くは普通の企業ですので、株主のために収益を上げ続けなければならないミッションがあります。職人芸的なモノづくりを優先するか、それとも利益を最大限にするため商品アイテムを増やし量産を行い事業拡大にひた走るか・・・悩み多いジレンマです。
今日は本来限定された人しか手にできなかったはずの「ラグジュアリー」が、ほぼすべての人に行き渡った日本の特殊な現象が述べられています。では、さっそく・・・
-------------(原文訳)--------------
そして、忘れていけないのが「過剰露出によるリスク」です。過去10年世界のラグジュアリーマーケットの40%を消費してきたと考えられている日本では、ある日本の調査機関によると94.3%もの20代日本人女性がルイ・ヴィトンの何かしらの商品を所有しているとされます。
過剰露出による悪夢へのシナリオは、たんにブランドの陳腐化と失墜に他なりません。1960年代ライセンスビジネスのパイオニアとなったピエール・カルダンは、結果的に数百種類に及ぶライセンス商品の管理不能状態に陥りました。一時期、トレンチコートで有名なバーバリーにも同じ現象がありました。1990年代中期、アメリカ人のCEOの元で進められた改革ではバーバリーのプレイドマーク(格子縞、スコットランドのチェックが起源と思われます)はビキニからベビーカーにまで及びました。
おかげでバーバリーは世界的な大ヒットの恩恵を受けたのですが、一方お膝元イギリスでは火の手があがります。フーリガンや下品な女性芸能人たちがバーバリーを愛用しバーバリーのプレイドを自分たちのシンボルにしたりしました。そんなこともあり一時期、バーバリーの帽子を着ているとナイトクラブにも入れない状態でしたが、2001年に起用されたデザイナーChristopher Baileyが、馬や騎士のアイコンを目立たせ、逆にプレイドを弱くすることでイメージの回復をはかりました。彼は新しいデザインを「くだけたエレガンス」と呼び、ラグジュアリー中に親しみを表現しようとしています。
-------------(原文訳ここまで)--------------
最近読んだ本『ブランドビジネス』(高橋克典)にはこのように書かれています:
「ルイ・ヴィトンはかくして国民的制服になり、ブルジョワだけが持つべきブランドではなく、年齢や性別を問わず誰もが安心して買え、リッチな気分になれるツールとなった」(29ページ)
階級意識が浸透しているヨーロッパでは、仮にお金ができても庶民はヴィトンには手を出さずに他のモノを買うし、しかも他人と違うものを捜すとはよく言われますが、年収2500万円のニューリッチも250万のOLもみんなヴィトンを持ち歩いて「わだかまりがない」日本では、ルイ・ヴィトンは国民服の様相を呈しつつ、それでもなおヴィトンのラグジュアリーイメージが健全であることに高橋氏は賛辞を惜しみません。
高橋氏は欧米では考えにくいこのような現象の原因を「日教組に代表される社会主義的教育」と断言しています。確かに同じバッグを持って街中で鉢合わせることに何ら違和感を感じない私たちは無個性で同一性をよしとする民族のようです。
ところで、ブランドとライセンスビジネスの関係を語るとき教科書のように語り継がれる話がピエール・カルダンです。
突然ですが、私は高校生の頃、ピエール・カルダンのショルダーバッグを持っていました。極東の片田舎のバッグショップに、まさかピエール・カルダンのような有名デザイナーの商品が置かれていたとは知る由もなく私は単純に5千円というプライスと色とデザインが気に入って購入しました。
筆記体で書かれたロゴ「Pierre Cardin」は当時読めませんし仮に読めても「ピエール・カルダン」というブランドは知りませんでしたが、どうも「高級ブランドらしい」ことは薄々感じていました。
しかし、その高級ブランドのロゴが、タオルやトイレ用スリッパなど結構いろんなところに張り付いているのに気づき、ピエール・カルダンを持っていることが「どうしても恥ずかしくて」ロゴのところだけマジックで塗りつぶそうかとも考えました。けっきょく使わなくなりいつのまにかなくなっていました。
イヴ・サンローランとともにクリスチャン・ディオール・メゾンの「プリンス」だった世界のトップデザイナー、ピエール・カルダンは、当時、極東の片田舎ではちょっと恥ずかしいブランドに成り下がっていたのです。
デザイナーからすれば、放っておいても自動的に上前(うわまえ)が上がってくるライセンスビジネスは「麻薬」のように魅力的ですが、反面ブランドの骨組みを蝕む魔物です。
ピエール・カルダン以降、ブランドではライセンスビジネスに厳しい制限を設けることが常識になりましたが、バーバリーが90年代に「ビキニからベビーカーにまでバーバリーチェック」を入れて同じ轍にはまったことを考えると、ライセンス中毒はよほど強力な麻薬のようです。
「過去10年世界のラグジュアリーマーケットの40%を消費してきた日本」とありますが、今後この主役は中国に移るでしょう。真のグジュアリーを求める大人たちの安堵するため息もどこからか聞こえてきそうです。
マスマーケットに向かうラグジュアリー7
マスマーケットに向かうラグジュアリー6
マスマーケットに向かうラグジュアリー5
マスマーケットに向かうラグジュアリー4
マスマーケットに向かうラグジュアリー3
マスマーケットに向かうラグジュアリー2
マスマーケットに向かうラグジュアリー1
---------------QUOTE--------------
There's also a risk of overexposure, particularly in Japan, which accounted for as much as 40% of worldwide luxury demand over the past decade. Already, 94.3% of Japanese women in their 20s own a Louis Vuitton item, according to one Japanese research institute.
The nightmare scenario is that your brand suddenly becomes banal or vulgar. That happened to Pierre Cardin, who pioneered the use of licenses in the 1960s only to lose control of the hundreds of products that ended up bearing his name. For a while it happened to Burberry. A British outerwear company best known for its trench coats, it underwent a transformation in the 1990s at the hands of an American CEO, Rose-Marie Bravo, who used Burberry's distinctive plaid on products from bikinis to strollers.
That made it a hit worldwide, but her strategy backfired in Britain when soccer hooligans and tart-tongued tabloid actresses adopted the Burberry plaid as their own status symbol. For a time, nightclub bouncers in Britain refused entry to people wearing Burberry caps. The firm succeeded in containing the problem to Britain and moved aggressively to resolve it. Christopher Bailey, brought in as designer in 2001, has deemphasized plaid and played up other icons of the brand, such as a horse and knight. He describes the new look as "disheveled elegance - it's luxury, but there's a familiarity about it."
---------------QUOTE--------------
(2007-09-29)
今日は本来限定された人しか手にできなかったはずの「ラグジュアリー」が、ほぼすべての人に行き渡った日本の特殊な現象が述べられています。では、さっそく・・・
-------------(原文訳)--------------
そして、忘れていけないのが「過剰露出によるリスク」です。過去10年世界のラグジュアリーマーケットの40%を消費してきたと考えられている日本では、ある日本の調査機関によると94.3%もの20代日本人女性がルイ・ヴィトンの何かしらの商品を所有しているとされます。
過剰露出による悪夢へのシナリオは、たんにブランドの陳腐化と失墜に他なりません。1960年代ライセンスビジネスのパイオニアとなったピエール・カルダンは、結果的に数百種類に及ぶライセンス商品の管理不能状態に陥りました。一時期、トレンチコートで有名なバーバリーにも同じ現象がありました。1990年代中期、アメリカ人のCEOの元で進められた改革ではバーバリーのプレイドマーク(格子縞、スコットランドのチェックが起源と思われます)はビキニからベビーカーにまで及びました。
おかげでバーバリーは世界的な大ヒットの恩恵を受けたのですが、一方お膝元イギリスでは火の手があがります。フーリガンや下品な女性芸能人たちがバーバリーを愛用しバーバリーのプレイドを自分たちのシンボルにしたりしました。そんなこともあり一時期、バーバリーの帽子を着ているとナイトクラブにも入れない状態でしたが、2001年に起用されたデザイナーChristopher Baileyが、馬や騎士のアイコンを目立たせ、逆にプレイドを弱くすることでイメージの回復をはかりました。彼は新しいデザインを「くだけたエレガンス」と呼び、ラグジュアリー中に親しみを表現しようとしています。
-------------(原文訳ここまで)--------------
最近読んだ本『ブランドビジネス』(高橋克典)にはこのように書かれています:
「ルイ・ヴィトンはかくして国民的制服になり、ブルジョワだけが持つべきブランドではなく、年齢や性別を問わず誰もが安心して買え、リッチな気分になれるツールとなった」(29ページ)
階級意識が浸透しているヨーロッパでは、仮にお金ができても庶民はヴィトンには手を出さずに他のモノを買うし、しかも他人と違うものを捜すとはよく言われますが、年収2500万円のニューリッチも250万のOLもみんなヴィトンを持ち歩いて「わだかまりがない」日本では、ルイ・ヴィトンは国民服の様相を呈しつつ、それでもなおヴィトンのラグジュアリーイメージが健全であることに高橋氏は賛辞を惜しみません。
高橋氏は欧米では考えにくいこのような現象の原因を「日教組に代表される社会主義的教育」と断言しています。確かに同じバッグを持って街中で鉢合わせることに何ら違和感を感じない私たちは無個性で同一性をよしとする民族のようです。
ところで、ブランドとライセンスビジネスの関係を語るとき教科書のように語り継がれる話がピエール・カルダンです。
突然ですが、私は高校生の頃、ピエール・カルダンのショルダーバッグを持っていました。極東の片田舎のバッグショップに、まさかピエール・カルダンのような有名デザイナーの商品が置かれていたとは知る由もなく私は単純に5千円というプライスと色とデザインが気に入って購入しました。
筆記体で書かれたロゴ「Pierre Cardin」は当時読めませんし仮に読めても「ピエール・カルダン」というブランドは知りませんでしたが、どうも「高級ブランドらしい」ことは薄々感じていました。
しかし、その高級ブランドのロゴが、タオルやトイレ用スリッパなど結構いろんなところに張り付いているのに気づき、ピエール・カルダンを持っていることが「どうしても恥ずかしくて」ロゴのところだけマジックで塗りつぶそうかとも考えました。けっきょく使わなくなりいつのまにかなくなっていました。
イヴ・サンローランとともにクリスチャン・ディオール・メゾンの「プリンス」だった世界のトップデザイナー、ピエール・カルダンは、当時、極東の片田舎ではちょっと恥ずかしいブランドに成り下がっていたのです。
デザイナーからすれば、放っておいても自動的に上前(うわまえ)が上がってくるライセンスビジネスは「麻薬」のように魅力的ですが、反面ブランドの骨組みを蝕む魔物です。
ピエール・カルダン以降、ブランドではライセンスビジネスに厳しい制限を設けることが常識になりましたが、バーバリーが90年代に「ビキニからベビーカーにまでバーバリーチェック」を入れて同じ轍にはまったことを考えると、ライセンス中毒はよほど強力な麻薬のようです。
「過去10年世界のラグジュアリーマーケットの40%を消費してきた日本」とありますが、今後この主役は中国に移るでしょう。真のグジュアリーを求める大人たちの安堵するため息もどこからか聞こえてきそうです。
マスマーケットに向かうラグジュアリー7
マスマーケットに向かうラグジュアリー6
マスマーケットに向かうラグジュアリー5
マスマーケットに向かうラグジュアリー4
マスマーケットに向かうラグジュアリー3
マスマーケットに向かうラグジュアリー2
マスマーケットに向かうラグジュアリー1
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There's also a risk of overexposure, particularly in Japan, which accounted for as much as 40% of worldwide luxury demand over the past decade. Already, 94.3% of Japanese women in their 20s own a Louis Vuitton item, according to one Japanese research institute.
The nightmare scenario is that your brand suddenly becomes banal or vulgar. That happened to Pierre Cardin, who pioneered the use of licenses in the 1960s only to lose control of the hundreds of products that ended up bearing his name. For a while it happened to Burberry. A British outerwear company best known for its trench coats, it underwent a transformation in the 1990s at the hands of an American CEO, Rose-Marie Bravo, who used Burberry's distinctive plaid on products from bikinis to strollers.
That made it a hit worldwide, but her strategy backfired in Britain when soccer hooligans and tart-tongued tabloid actresses adopted the Burberry plaid as their own status symbol. For a time, nightclub bouncers in Britain refused entry to people wearing Burberry caps. The firm succeeded in containing the problem to Britain and moved aggressively to resolve it. Christopher Bailey, brought in as designer in 2001, has deemphasized plaid and played up other icons of the brand, such as a horse and knight. He describes the new look as "disheveled elegance - it's luxury, but there's a familiarity about it."
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(2007-09-29)
< 秋づく。ニオイも穏やかになる通勤電車 || オードパルファム新撰組#2 >
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