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( 香水工場の )

香る生活


九州の櫨8 島原半島のハゼ蝋
●島原半島のハゼ蝋

荒木製蝋がある西鉄「江の浦」駅から西鉄「大牟田」までは電車で20分。かって炭鉱の町(1997年閉山)として世界にその名を馳せた大牟田は、今ではひっそりとした雰囲気を漂わせていました。タクシーの運転手さんによるとかっての20万人都市は現在10万人程度まで減少したとのこと。

三池炭鉱(三井グループ)とその関連重工業で栄えた街並みは道路の規模もレイアウトもそれなりの威容を感じさせながらガランとして人気の少なさはやや寂しくも感じますし、あるいはアメリカやオーストラリアの街並みを彷彿させるようで「落ち着き」とも感じられます。

西鉄「大牟田駅」から15分。向かったのは三池港。フェリーで有明海を横断すればそこは島原半島。江戸幕府の残酷さを日本史に刻んだ「島原の乱」や火砕流の映像が記憶に鮮明な「雲仙普賢岳」など、島原には激動のイメージがあったのですが行ってみれば穏やかな南国の海辺の町でした。大牟田からは島鉄高速船というフェリーで1時間程度でいくことができます。

製蝋を行っている会社さんは荒木製蝋さん以外に島原に数社、その他、熊本や愛媛にわずかに残ると聞いていますので、荒木製蝋さんから一番近い本多木蝋工業所(長崎県島原市有明町)さんに行きました。

実は事前に何度かお電話などで連絡を取りましたがご不在でけっきょくアポなしの訪問となりました。インターネットではおみやげの販売もされているとの記述を見つけたため、アポはなくても手作りのロウソクでも購入できるかもと期待を寄せて出かけていきました。

その実、有明海を渡ってみたい(帰りはビール片手にサンセットクルーズになる予定です(^_^;)、海辺をトコトコ走るという島原鉄道に乗ってみたいという不純な動機があったことも事実です。

地図を片手に本多木蝋さんの工場を訪問。やはりご不在でした。歴史を感じさせる門構え。おそらく住居と工場が一帯となったお屋敷です。ご不在ながら門は開け広げられています。門の後ろに番犬が見えるのですが、とてもフレンドリーな番犬くんで、しっぽを振っていることろが歓迎ムード。この開け広げな風情が九州の大らかさのようにも感じました。

近所の八百屋さんでアイスクリームを買う間、おばさんに話をお聞きすると木蝋生産は現在もされているそうですが、ご主人は公務員をされているため平日、工場はお休みだそうです。ときどき子供たちを招き手作りロウソクのイベントなど開催されているとのこと。お話からは、どちらかといえば、ハゼ蝋産業というより、ハゼ蝋産業を歴史遺産として残すための活動をされているという印象を受けました。

今回はロウソクのおみやげは買えませんでしたが、充分満足です。本多木蝋さんにお話を伺うにはしかるべき紹介を受けてアポを取って上で再度訪問したほうがよいようです。もしそういうチャンスがあれば普賢岳の火砕流で壊滅したハゼの畑なども次回は見てみたいと考えています。

帰りは予定通りビール片手にサンセットクルーズとなりましたが、フェリー降りたら夜道を帰ることになっていたのでちょっと寂しかったです。映画のようには行きませんよね。

九州、櫨(ハゼ)の旅
三池港から望む有明海。遙か向こうに見える山が島原。

九州、櫨(ハゼ)の旅
やや寂しげなサンセットクルーズ。


(2007-12-08)
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