( 香水工場の )
香る生活
旅をするなら淡路島の漂木狩り
近代の香水は、主にヨーロッパで発展を遂げましたが、日本には「お香」という文化が生まれました。それどころか「香道」のように香りを日常のエンターテイメントから芸術の領域まで高めました。
日本は香り先進国です。
香りと清潔は表裏の関係にあると思いますが、日本は衛生に関しても先進的な国です。お風呂文化が広く浸透していたためです。
たとえば、17世紀〜18世紀のフランスではルイ14世、ルイ15世、ルイ16世の時代に絶対王政が確立され貴族文化が炸裂します。ベルサイユ宮殿に象徴されるように優雅で洗練された宮廷文化がピークを迎え「蝶よ花よ」と美しさだけがイメージされがちですが、実際は着飾った貴族たちも相当臭かったろうと思います。
実際、世界の大都市パリは当時「糞尿の都」でした。
映画『パフューム』には当時のパリの糞尿具合が忠実に描写されていて好感をもちますが、19世紀ナポレオンの時代に入ると、オーデコロンの愛用者として有名なナポレオンがそうだったように徐々に香水やフレグランスが普及しはじめます。
日本で言えば江戸末期のころの話です。つまり、江戸百万都市は、舗装道路がないことが難点ながら、衛生度合いからすれば、江戸の町は、パリよりよほど清潔な町でした。
その後、ヨーロッパでは安価で量産可能な石鹸製造技術が開発され、またフランスの軍隊でシャワーが考案され、大戦を通じてヨーロッパ中に広く普及浸透することで衛生面で、日本をあっという間に抜き去りますが、長い歴史を見れば日本は香りと衛生の先進的な国だったと言えそうです。
その香り先進国・日本の香り文化の原点となった場所が瀬戸内海の淡路島です。
香りの勉強をされる方が必ず習う伝説があります。私自身読んだことはありませんが、下記の内容が日本書紀に記述されているそうです。
595年、推古天皇の頃、淡路島に木材が漂着し、島民が焼いてみるとよい香りを漂わしたことから珍しがり役所に持ち込んで、巡り巡り、ついに朝廷に献上された訳アリ木材。この漂木は沈香だったとされます。
沈香とは香木の一種で主に東南アジアで採取されるます。日本での採取事例はおそらく存在しないと思いますので、アクロバット的海流のなせる技か、あるいはすでに香木貿易が始まっていたのでしょうか、なぜ東南アジアの香木が瀬戸内海まで流れ着いたのか不明です。
奈良・正倉院に納められている沈香は「黄熟香」と呼ばれますが、一説にはこのときの漂木が黄熟香だったという話もありますが、詳細は不明です。
余談ですが、正倉院の黄熟香は、足利義政、織田信長、明治天皇によって端っこが切り取られたことで有名です。切り取ったワケは不明です。たんなる漂木ながら国家的宝物と位置づけられ、国家的権力の象徴とも解釈されているのかもしれません。
・・・というわけで淡路島は、日本の香り文化にとってもゆかりの地です。
夏にスタッフが淡路島を回ってきました。香木が打ち上げられたというゆかりの海岸も見てきたそうです。そこには枯木神社なる神社があり、その裏手に延びる海岸には今でも漂木がいっぱい。
「確かに漂木が流れ着きそうな所でした」
とのことです。
これは一大事、漂木は近年、人気のオブジェ。ちょっとしたお小遣いになるだけでなく、漂木狩りで万一沈香でも見つけようものなら、ウン千万円もかるくアリです。本当にそれだけ希少な香木ですから。
(2008-09-09)
日本は香り先進国です。
香りと清潔は表裏の関係にあると思いますが、日本は衛生に関しても先進的な国です。お風呂文化が広く浸透していたためです。
たとえば、17世紀〜18世紀のフランスではルイ14世、ルイ15世、ルイ16世の時代に絶対王政が確立され貴族文化が炸裂します。ベルサイユ宮殿に象徴されるように優雅で洗練された宮廷文化がピークを迎え「蝶よ花よ」と美しさだけがイメージされがちですが、実際は着飾った貴族たちも相当臭かったろうと思います。
実際、世界の大都市パリは当時「糞尿の都」でした。
映画『パフューム』には当時のパリの糞尿具合が忠実に描写されていて好感をもちますが、19世紀ナポレオンの時代に入ると、オーデコロンの愛用者として有名なナポレオンがそうだったように徐々に香水やフレグランスが普及しはじめます。
日本で言えば江戸末期のころの話です。つまり、江戸百万都市は、舗装道路がないことが難点ながら、衛生度合いからすれば、江戸の町は、パリよりよほど清潔な町でした。
その後、ヨーロッパでは安価で量産可能な石鹸製造技術が開発され、またフランスの軍隊でシャワーが考案され、大戦を通じてヨーロッパ中に広く普及浸透することで衛生面で、日本をあっという間に抜き去りますが、長い歴史を見れば日本は香りと衛生の先進的な国だったと言えそうです。
その香り先進国・日本の香り文化の原点となった場所が瀬戸内海の淡路島です。
香りの勉強をされる方が必ず習う伝説があります。私自身読んだことはありませんが、下記の内容が日本書紀に記述されているそうです。
595年、推古天皇の頃、淡路島に木材が漂着し、島民が焼いてみるとよい香りを漂わしたことから珍しがり役所に持ち込んで、巡り巡り、ついに朝廷に献上された訳アリ木材。この漂木は沈香だったとされます。
沈香とは香木の一種で主に東南アジアで採取されるます。日本での採取事例はおそらく存在しないと思いますので、アクロバット的海流のなせる技か、あるいはすでに香木貿易が始まっていたのでしょうか、なぜ東南アジアの香木が瀬戸内海まで流れ着いたのか不明です。
奈良・正倉院に納められている沈香は「黄熟香」と呼ばれますが、一説にはこのときの漂木が黄熟香だったという話もありますが、詳細は不明です。
余談ですが、正倉院の黄熟香は、足利義政、織田信長、明治天皇によって端っこが切り取られたことで有名です。切り取ったワケは不明です。たんなる漂木ながら国家的宝物と位置づけられ、国家的権力の象徴とも解釈されているのかもしれません。
・・・というわけで淡路島は、日本の香り文化にとってもゆかりの地です。
夏にスタッフが淡路島を回ってきました。香木が打ち上げられたというゆかりの海岸も見てきたそうです。そこには枯木神社なる神社があり、その裏手に延びる海岸には今でも漂木がいっぱい。
「確かに漂木が流れ着きそうな所でした」
とのことです。
これは一大事、漂木は近年、人気のオブジェ。ちょっとしたお小遣いになるだけでなく、漂木狩りで万一沈香でも見つけようものなら、ウン千万円もかるくアリです。本当にそれだけ希少な香木ですから。
(2008-09-09)
< 地元の銭湯模様 || 『香る生活』vol.10をリリース >
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