( 香水工場の )
香る生活
墨の香りの香水、行けてる・行けてない?
(2014/07/21)
墨(すみ)の香りは、心落ち着く香り。幽玄な雰囲気に浸れる香りです。好まれる方、多いですよ。「墨汁のニオイの香水作って」「墨のフレグランス作って」というご要望をたまにいただきます。
「オードパルファム墨」 (2013年 試作品)
墨は、燃えカスの煤(スス)から作られます。ススは有機物の不完全燃焼できでる炭素粒子の集まり。スス作りは、松を燃やしてできる松煙墨(しょうえんずみ)と菜種油ならから採取する油煙墨(ゆえんずみ)があります。これを膠(ニカワ)で固めたものが墨。
ニカワとは、今風に言えばゼラチンやコラーゲン。動物の骨や皮から得られますが、ススを固める天然接着剤の役割を果たします。昔のニカワは非常に強烈なニオイを発していたらしく、このニオイをマスキングするために様々な香料が添加されたと考えられています。
私たちが、墨汁に感じる香りの成分は、はっきりわかっています。それは「ボルネオール」という揮発性成分。中国語・日本語名は「竜脳」(りゅうのう)。ちょっと専門的になりますが化学式はC10H8O。典型的なモノテルペンアルコールの仲間です。
ニカワのニオイ消しに選ばれた香料はいろいろあったと思われますが、もっとも成功した香料がボルネオールだったのでしょう。現在では「ボルネオール=墨の香り」となっています。
ボルネオールは、そのネーミングが示すように、東南アジアのボルネオ島に由来します。精油といっても商品として流通する際は、透明か白色の粉末状の結晶体です。中国・アラビア、そして近世ではヨーロッパで珍重され、ボルネオ島を代表する輸出産物でした。中国ではお香や漢方として、アラビアでは清涼感が愛され、ドリンク剤になったとか。ヨーロッパでは医薬品や香水原料として利用されました。
竜脳と聞けば「樟脳」(しょうのう)を連想しませんか? 香りも比較的似ていて、分子構造もそっくり。実際、化学的には竜脳は樟脳から合成可能です。天然物では竜脳の方が高価です。
樟脳(カンファー、カンフル、C10H16O)は、クスノキの精油から精製されますが、竜脳(ボルネオール)は、竜脳樹という樹木から採れます。竜脳樹は大量伐採のため絶滅危惧種とされ、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにアップされています。心が痛みます。
現在ではボルネオールは通常、化学的な合成によって生産されており、天然の樹木への依存度はかなり減少しています。
墨の香りは、ほぼボルネオールです。この成分だけで、10人中10人が「墨の香り」として納得してもらえるでしょう。ボルネオールの粉をエタノールに溶かすだけで、あらふしぎ、墨の香りの香水ができあがります。
ウソ?・・・ホントなんですよ。
ただ、ボルネオールだけですと香りの持続性が弱いなどあり、また商品の差別化のためにもボルネオール以外に白檀や麝香(ムスク)を加えたりします。その処方は、限りなく「お香」に近いものがあります。
ところで、墨の香りは、ニカワのマスキングから発展したものの、現在の技術で生産されるニカワはそれほどニオイがなく、ボルネオールによるマスキングは不要です。
ある墨メーカーさんにお聞きしたら、香りのない墨も今後作る予定という話を聞きましたので、実際にそういう墨も今後でてくると思われます。
昨年、社内試作として「オードパルファム墨」が上がってきました。その試作品がこの記事の最初の写真です。成分は、もち、ボルネオール。これにウッディ系の香りをアレンジして香水らしく整えています。
スメリング・ミーティングでは社外のモニターさんにも参加いただきました。モニターさんの第一声がこれ。
「あれ! 黒くないんですね」
「真っ黒かと思っていました」
香水ビンに入れられた「オードパルファム墨」は透明。これが彼には意外だったようです。ボルネオールは透明の結晶体。溶かせば当然、透明ですが、一般の人には、墨の香りも「真っ黒」というイメージがあるようです。
スメリングの結果は、墨の香りだけど・・・担当のパフューマー自身が「墨の香りを好きな方は多いのですが、そもそも香水として付けたいでしょうか?」・・・なんと「香水として墨、アリ?」という根本問題にぶつかりミーティングには重苦しい空気が流れました。
パフューマーの予想だと中年男性がつけたとき、体臭と加齢臭とボルネオールの相乗効果はシミュレーションできないと。ルームフレグランスとしてならイメージできるけど、香水としては、どうなんだろと、「さらなる検討の必要あり」と現在ペンディングしています。
正直、現代の香水は、世界的にもはや出尽くした感じがあり、フレグランス業界では、新しい香水はもはや生まれないと言われがちです。
生まれるとしたら今まで知られていない新しいアーティフィシャル(人工的)な成分が合成されたときとも言われています。戦前のシャネルNo.5はそのパターンでした。
しかし、アーティフィシャルな合成成分は安全性の検証が難しく、それだけのリスクを取れる香水ブランドさんは香料の成分規制が厳しい現在では、ほとんどないと私は見ています。
一方、墨なら1000年以上の歴史、香りの安全性は実証されていますし、古いイメージをモダンにアレンジすれば、西洋人も東洋人も驚く斬新な香り、それで手堅くヒット!なんて。普通のコーヒーをモダンにアレンジしてヒットしたスターバックのように。
墨香水なんて、遊び心満載ですからね。おじさんたちがきっと飛びつく!と社内説得を試みています。
墨香水の開発の過程で、数社の墨メーカーさまにお話をお聞きしました。その中には「にぎり墨体験」というイベントを開催され、一般の方々に墨制作を公開されているところもありました。せっかくなので墨作りの一部を当社スタッフが体験してきました。
墨作りシーズンは、ニカワが腐敗しない冬から春まで。この写真は2014年4月、墨作りとしてはシーズンが実質終わったギリギリのタイミングで受講できました。
※こちらは墨の原料となる煤(すす)を採取するための部屋。この日は菜種油からの煤を取る作業が行われており、ほんのりと油の匂いのする部屋の中は、蝋燭の灯りがとても幻想的でした。
※煤と膠と香料(主にボルネオール)を練って墨の元ができます。職人さんが練った墨を棒状にし、そっと掌に乗せてくれます。(職人さんの手に本物の雰囲気が伝わってきます)
※吊るして乾燥させます。数ヶ月後、墨が完成します。
※建物に近づくとそれだけで墨の香りがし、建物に一歩足を踏み入れると全身が墨の香りに包まれました。訪れた人たちは皆「わぁ」と声を上げられるそうですが、職人さん達にとっては日常の香り、鼻が慣れてしまいあまり香りを感じないとおっしゃられていました。
(2014-07-21)
墨(すみ)の香りは、心落ち着く香り。幽玄な雰囲気に浸れる香りです。好まれる方、多いですよ。「墨汁のニオイの香水作って」「墨のフレグランス作って」というご要望をたまにいただきます。
「オードパルファム墨」 (2013年 試作品)
墨自体は、墨の香りがしない!
墨は、燃えカスの煤(スス)から作られます。ススは有機物の不完全燃焼できでる炭素粒子の集まり。スス作りは、松を燃やしてできる松煙墨(しょうえんずみ)と菜種油ならから採取する油煙墨(ゆえんずみ)があります。これを膠(ニカワ)で固めたものが墨。
ニカワとは、今風に言えばゼラチンやコラーゲン。動物の骨や皮から得られますが、ススを固める天然接着剤の役割を果たします。昔のニカワは非常に強烈なニオイを発していたらしく、このニオイをマスキングするために様々な香料が添加されたと考えられています。
実はカンタン、墨の香りの香水
私たちが、墨汁に感じる香りの成分は、はっきりわかっています。それは「ボルネオール」という揮発性成分。中国語・日本語名は「竜脳」(りゅうのう)。ちょっと専門的になりますが化学式はC10H8O。典型的なモノテルペンアルコールの仲間です。
ニカワのニオイ消しに選ばれた香料はいろいろあったと思われますが、もっとも成功した香料がボルネオールだったのでしょう。現在では「ボルネオール=墨の香り」となっています。
ボルネオールは、そのネーミングが示すように、東南アジアのボルネオ島に由来します。精油といっても商品として流通する際は、透明か白色の粉末状の結晶体です。中国・アラビア、そして近世ではヨーロッパで珍重され、ボルネオ島を代表する輸出産物でした。中国ではお香や漢方として、アラビアでは清涼感が愛され、ドリンク剤になったとか。ヨーロッパでは医薬品や香水原料として利用されました。
希少な天然ボルネオール
竜脳と聞けば「樟脳」(しょうのう)を連想しませんか? 香りも比較的似ていて、分子構造もそっくり。実際、化学的には竜脳は樟脳から合成可能です。天然物では竜脳の方が高価です。
樟脳(カンファー、カンフル、C10H16O)は、クスノキの精油から精製されますが、竜脳(ボルネオール)は、竜脳樹という樹木から採れます。竜脳樹は大量伐採のため絶滅危惧種とされ、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにアップされています。心が痛みます。
現在ではボルネオールは通常、化学的な合成によって生産されており、天然の樹木への依存度はかなり減少しています。
墨の香りの正体は、ボルネオールと○○
墨の香りは、ほぼボルネオールです。この成分だけで、10人中10人が「墨の香り」として納得してもらえるでしょう。ボルネオールの粉をエタノールに溶かすだけで、あらふしぎ、墨の香りの香水ができあがります。
ウソ?・・・ホントなんですよ。
ただ、ボルネオールだけですと香りの持続性が弱いなどあり、また商品の差別化のためにもボルネオール以外に白檀や麝香(ムスク)を加えたりします。その処方は、限りなく「お香」に近いものがあります。
現代の墨は無香でもOK!?
ところで、墨の香りは、ニカワのマスキングから発展したものの、現在の技術で生産されるニカワはそれほどニオイがなく、ボルネオールによるマスキングは不要です。
ある墨メーカーさんにお聞きしたら、香りのない墨も今後作る予定という話を聞きましたので、実際にそういう墨も今後でてくると思われます。
透明な「オードパルファム墨」
昨年、社内試作として「オードパルファム墨」が上がってきました。その試作品がこの記事の最初の写真です。成分は、もち、ボルネオール。これにウッディ系の香りをアレンジして香水らしく整えています。
スメリング・ミーティングでは社外のモニターさんにも参加いただきました。モニターさんの第一声がこれ。
「あれ! 黒くないんですね」
「真っ黒かと思っていました」
香水ビンに入れられた「オードパルファム墨」は透明。これが彼には意外だったようです。ボルネオールは透明の結晶体。溶かせば当然、透明ですが、一般の人には、墨の香りも「真っ黒」というイメージがあるようです。
「香水として墨、アリ?」という根源的な問題
スメリングの結果は、墨の香りだけど・・・担当のパフューマー自身が「墨の香りを好きな方は多いのですが、そもそも香水として付けたいでしょうか?」・・・なんと「香水として墨、アリ?」という根本問題にぶつかりミーティングには重苦しい空気が流れました。
パフューマーの予想だと中年男性がつけたとき、体臭と加齢臭とボルネオールの相乗効果はシミュレーションできないと。ルームフレグランスとしてならイメージできるけど、香水としては、どうなんだろと、「さらなる検討の必要あり」と現在ペンディングしています。
世界の香水事情と古くて新しい墨の香り
正直、現代の香水は、世界的にもはや出尽くした感じがあり、フレグランス業界では、新しい香水はもはや生まれないと言われがちです。
生まれるとしたら今まで知られていない新しいアーティフィシャル(人工的)な成分が合成されたときとも言われています。戦前のシャネルNo.5はそのパターンでした。
しかし、アーティフィシャルな合成成分は安全性の検証が難しく、それだけのリスクを取れる香水ブランドさんは香料の成分規制が厳しい現在では、ほとんどないと私は見ています。
一方、墨なら1000年以上の歴史、香りの安全性は実証されていますし、古いイメージをモダンにアレンジすれば、西洋人も東洋人も驚く斬新な香り、それで手堅くヒット!なんて。普通のコーヒーをモダンにアレンジしてヒットしたスターバックのように。
墨香水なんて、遊び心満載ですからね。おじさんたちがきっと飛びつく!と社内説得を試みています。
感動・墨作り体験
墨香水の開発の過程で、数社の墨メーカーさまにお話をお聞きしました。その中には「にぎり墨体験」というイベントを開催され、一般の方々に墨制作を公開されているところもありました。せっかくなので墨作りの一部を当社スタッフが体験してきました。
墨作りシーズンは、ニカワが腐敗しない冬から春まで。この写真は2014年4月、墨作りとしてはシーズンが実質終わったギリギリのタイミングで受講できました。
※こちらは墨の原料となる煤(すす)を採取するための部屋。この日は菜種油からの煤を取る作業が行われており、ほんのりと油の匂いのする部屋の中は、蝋燭の灯りがとても幻想的でした。
※煤と膠と香料(主にボルネオール)を練って墨の元ができます。職人さんが練った墨を棒状にし、そっと掌に乗せてくれます。(職人さんの手に本物の雰囲気が伝わってきます)
※吊るして乾燥させます。数ヶ月後、墨が完成します。
※建物に近づくとそれだけで墨の香りがし、建物に一歩足を踏み入れると全身が墨の香りに包まれました。訪れた人たちは皆「わぁ」と声を上げられるそうですが、職人さん達にとっては日常の香り、鼻が慣れてしまいあまり香りを感じないとおっしゃられていました。
(2014-07-21)
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